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zoom RSS “癌”友人たちの闘病記  日本の桜 

<<   作成日時 : 2013/04/11 16:25   >>

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 俳句の季語で “花” といえば
“桜” をさす。
 日本人の心を奪う桜の花とは!

 カラオケのない頃の宴会は
手拍子と掛け声(あいのて)で
必ず歌われ再会を約束したのは
 “同期の桜” であった。

 桜の花が潔く散るように
命を國にささげ
靖国神社で再会しよう!
・・・こんな内容の歌詞であった。

 あの忌まわしい侵略戦争に
若者たちが命と桜を比喩され
教育現場も鼓舞し洗脳され、
兵隊さんとなって尊い命を
を落していった!
 
 こんな現実を
桜はどう考えたのであろうか?

“たかが桜 されど桜”といえる。


画像

                    画像解説=4月10日早朝の河口湖
                    今回は初タケノコの炊き込みご飯で
                    作ったオムスビとお抹茶をもって早朝
                    7時に河口湖に到着、前日ニュースで
                    報道した満開宣言はぴったりの状況
                    カメラマンも「猿回し劇場南」だけで
                    おおよそ30名あまり、曇ってはいたが
                    素晴らしい景観を魅せてくれた。

 親友の I さんの事

 彼とは同期生で家内より長い付き合い
性格は私とそっくり、実直でまっすぐな男だった。
 海軍江田島の士官学校卒業の父を持ち
小さいころからその父親から叩き込まれた教育で
頭脳も運動神経も抜群であった。

 年配の方ならご存知であろうが戦前教育で
一番人気の「海軍士官学校」に見事合格した
生徒を輩出した学校の校長や先生は

 “鼻高々! おおいばり”
・・・提灯行列の勢いである。

 東大合格の頭脳を持ち、日体大合格の体力
これを兼ね備えなければ合格とはならない!
そんな喜び、当然と言えば当然なのかもしれない。

 そんな無二の親友が定年退職を迎え
ようとする前年に、なんと“ガンにり患”した。
 風の便りに入院した旨の噂が流れたので
40キロ離れた入院先に家内と見舞いに訪れた。
 
 体がひと回り小さくなったが血色も良く
笑顔でわれわれを迎えてくれた、彼曰く
 “すい臓がん” とのことであった。

 頑張り屋の彼は一旦退院すると
また会社に通いだした、
電話問答で「もっと休んだらどうか?」と進言すると
同僚や部下たち 「回りに迷惑をかけられない」
「あと8ヶ月で定年だし頑張る」
といいながら電話での進言に答え、
・・・そっけなく電話を終える。
つづく。


画像

                     画像解説=自宅から500b西にある
                     松径寺の桜、木が若いので色が濃く
                     画像左下に 慈雲寺糸桜と同様の
                     枝垂れ桜が咲いている。
                      すべてで5本ほどしか植わっていないが
                     いずれもソメイヨシノに比べ面積で4分の一
                     程の小花でピンクが強く一斉に咲くので
                     見栄えが良く十分堪能できる。



 その後奥さんの話では痛み止めをもって
会社に通い仕事に励んでいると聞いたので
“働けるのなら大丈夫だろう”と安心していた。

 退職まで半年をきったある日彼から電話が入り
久しぶりにいっぱい飲もう!と誘ってきた
断る理由は何もない、日時を決めて
お互いの住まいの中間点の駅で待ち合う事とした。

 駅の地下道を国道一号線のほうを歩くと上の方から
“おっー!” と 声をかけてくる人がいる。
 その声の人を良く見れば親友の I さんである
顔の大きさが半分ほどになり顔色はどす黒く・・・
声を掛けてくれなければ通り過ぎてしまうほどの
変わりようであった。

 料理屋の部屋にふた夫婦ではいると
彼が口をきり、
“ガンが肝臓やリンパに転移し全身に廻ってしまった”
「この機会を逃すともう呑めなくなる」・・・といい
再会できたことを喜び・・・そして乾杯をした。

 私が病気以外のことに話題を向けるが
話は病魔のことにむき・・・“余命○ヶ月の告知”
を聞かされて
家内は思わず泣き出してしまった。

 いまになってみれば I さんは告白することで
自分の恐怖から抜け出したかったに違いないとおもう。
 
 抗がん剤治療で味覚がない情況の中で
良く私ども夫婦と一緒に付き合ってくれた。

 その後、やはり痛み止め持参で会社に通い
定年退職2ヶ月前の4月、会社で倒れ入院してすぐ
退職金も見ずに、あの世に旅立ってしまった。

 私も頑張るのは苦にならないが彼には負ける!
その後7年間で2度彼の夢を見た。
 楽しそうに誰かと話をしていた。

 夢の中で・・・
もし彼が“いっぱい飲もうか?”
などと誘ってきたら
   “もうちょっとあとでなー” 
と 私は断るつもりでいる。



画像

                   画像解説=まかい牧場の桜と富士山
                   4月8日撮影、八重桜の薄いピンク色が
                   美しい、品種はわからないがソメイヨシノ
                   は花が終わっていたのでこの一角だけが
                   華やいでいた。
                    ここのソフトクリームは小生の好物で
                   いつもは夫婦で1本を分けて食べるが
                   20度近い気温につられ一人一本を
                   平らげてしまった。
                          ・・・   うめー!


 闘病中の仲間 Y さんの話

 彼とは3回目の入院の時同じ病棟で知り合った
いわば、ガンと闘う戦友である。
 
 彼は挨拶の良くできる人で抗がん剤の点滴を
引きずりながら日課のように病棟を散歩をしていた。
 入院生活で夕食が終わるとぽっかり時間が空く
談話室に行くと彼も寄ってきて四方山話が毎晩始まる。

 彼の病名は“上部喉頭がん” でステージ3
放射線治療と抗がん剤治療併用で入院加療が始まった。
 最初はお互いに励ましあい、日が経つごとに
兄弟のように家庭内のことまで話がおよんだ。
 
 ガンという病気は死と隣りあわせなので
うまが合うと、10年来の友人関係になってしまう。

 小さいながらも3代目の社長をしているとのこと
僭越ながら、社長たる者の心構え、3代目は何をすべきか
などなど、熱く語り合ったので信頼関係は更に強まった。

 彼はまだ若く私と一回りも違うが、代々がガン因子を
持っているようで、親父さん、お祖父さんも早世したようだ
私が自分の親父越えの、年齢70歳まで生きたい! と
いったら、よーしっ俺も 「目標70と言い出し」 固く握手した。

 以降兄弟関係のような物が芽生え、
夫婦ともどもに励ましあう仲間・・・
・・・いわば親戚関係のようになった。

 私の3回目手術2010年4月11日と
4回目の手術2011年2月9日の二回とも
お互いに入院していたので手術室へ
むかう私を激励しながら見送ってくれた。
 
 術後ICU室をでて、一般病棟に戻ったときは
家族より早く訪れて、涙をいっぱいためて
“頑張った なー” と喜んで励ましてくれた。

「戸田さんは不死身だよなー
日に日に見違えるほど回復する」

と 驚嘆の賛辞をくれた。
その言葉は私にとってはたまらなく嬉しく
闘病の励みとなった事はいうまでもない。

 退院する時は病院をでる所まで歩いてきて
手を振って見送ってくれた・・・。
 私たちが何度も何度も振り返り頭を下げると
涙を拭う彼の姿・・・。
 
 いまでもその光景が脳裏に浮かんでくる。 

 2011年の1月26日、二人とも退院していたので
浜名湖に彼を呼び寄せみんなで「うなぎを食べた」

次は山梨の我が家で富士山を見ながら
バーベキューで一杯だ! と 
再会の固い約束をした・・・。

 2011年7月、抗がん剤治療13クールという
過酷な治療も効なく、彼の闘病生活が終止符を打った。

 私と約束した70歳とは程遠い年齢であった。
 しかしガンが全身に転移しても懸命に闘った彼の姿は
最後まであきらめない! と言ったとおり立派であった。

 彼が声を失ったとき彼の手をマッサージしながら
大学生の息子さんの就職が決った事を伝え聞いたら
Yさんは感無量の表情を浮かべ喜んでくれた。

 彼は50代で早世したが親としての愛情、会社の
切り盛りなどを立派に果たし、男の仕事を勤めた

 残念ながら “薬石効なし” の結果ではあったが
やらなければいけない仕事はすべて果たし・・・
天に召されたと確信する。

 私の残された仕事は共にガンと闘った奥さんが
彼の遺影をもって山梨の我が家に来ていただき、
彼の頑張りと私に言い残した彼の本音を
余すことなく伝える事が・・・

 彼への愛でそれが責務だと思っている。



画像

                     画像解説=ジウン寺のイトサクラ見物には
                     延べで何日間通ったことだろう。
                      多分100日は十分通ったと思っているが
                     振袖をを着た彼女を見たのは初めてである。
                
                      最初はモデルを連れてカレンダーか何かの
                     撮影会か?と思っていたがポーズのとり方が
                     どうも素人に見える。
               
                      ちょうど住職の奥さんがそばにいたので
                     「和服とイトサクラ」は似合いますねー!
                     これは新発見だ・・・と言ったら
                     「あれ○○ちゃん素敵!」
                     ・・・と奥さんが言うので
                     近所の娘さんの記念写真の撮影だと判った次第

                      3人のスタッフが衣装を整えたり反射板をもって
                     撮影は進行していった。
                      素晴らしい思い出の一ページが残るに違いない


 闘病仲間の S さんの話

 彼女とは2010年2月と2011年9月に
同じ病棟で知り合った。

 笑顔が絶えない性格で女性は強いなー。
余命が後何年と宣告されても動じることはない
そんな性格の人だった。

 良く私に思い残すことがないように
“思い切って遊ぼう”といって有言実行し
私のところに陽気な電話をかけてくる。

 いま○○温泉に入りに来てるの!
 「極楽!極楽!」
 あはぁはー ・・・てな具合!

 家庭菜園で土をいじるのが好きで
収穫した農産物をみんなに振る舞って
「美味しかったよー」 の 言葉が嬉しいの・・・
と童子のような眼をして教えてくれた。

 末期の肝臓がんで余命3年と言われて
脅かされたが、もうその3年経っても ぴんぴんよ!
と 健康宣言する頼もしさ!

 一方彼女は肝臓がんに好いとの情報があれば
あらゆる療法にチャレンジしたので
いわば肝臓がん療法の体験の 「生き字引」
 友人の奥さんが「トムインターフェロン」療法
を受けるときも効能や欠点を聞いてアドバイスした。

 2012年の3月、私が5回目の手術をするとき
お腹に水がたまるようになったと入院してきた。
 そのときはさすがに素晴らしい笑顔が見られない、
心底つらいようだった!

 少し顔色が黄色いので看病の方に聞くと
私に話す声が小さくなり眼を伏せがちであったので
早々に病室を退散せざるを得なかった。

 それから私は無事退院して苦になったので
メールを3度ほど送ったがその返事がなかった。

 術後2ヶ月健診で病室に伺ったが姿がない
病棟の師長に尋ねたら
「残念な結果に・・・」 と教えてくれた。
 
 有りがとう! の言葉に生きがいを感じ
“笑顔の素敵な”ご婦人がまた旅立った

もてなしの心が魅力、まだ60代のご婦人であった。



画像

                    画像解説=娘さんが登場したので桜の花を
                    アップしました、これがなんの桜か判れば
                    かなりの桜花 大数寄人間でみとめます。

                     この桜花 じつはさくらんぼ狩りに活躍する
                    サクランボ用の桜の木の花なんです。
                     いっきに咲かないのが特徴で花の大きさは
                    ほぼソメイヨシノと同じだが蕾のときでも真っ白
                    残念ながら「佐藤錦」かどうか解らない?

                     エ ッ! なぜ娘さんの後にサクランボかっ!
                    私の若い頃 “黄色いサクランボ”が流行して
                    Ber で粋に “角瓶”を呑んでいると必ず
                    この歌が流れ胸をときめかした事が脳裏を
                    かすめたんです。


 闘病仲間の M さんの話

 彼は大学生、3回目の入院2010年3月に同室となった
私のガンが再発と言う事態で!
「心が折れそうになった時」・・・彼の闘病生活を見て
みずからの心を “奮い起こしてくれた” いわば恩人である。

 ガンにり患し手術を受けると余命5年間の確率が6割となる
私は3回目の手術が 「再発ガン」 なので一般的なデーターでは
“余命5年間の確率が4割”に低下することになる。

 私が良く言う “じゃんけんより弱い人生”なのだ

 当時は非常に落ち込んだ思いで入院していたが
M さんが放射線と抗がん剤治療5クール目で
副作用から口内がイボだらけのひどい状況になり
おかゆのような柔らかい食事を1時間以上かけて
涙を流しながら 胃袋に流し込んでいる姿を目撃し
“闘う病”の一端を垣間見たのだ!

 俺はMさんにくらべ60過ぎているし、
しかも食事は食べられる。
何って 幸せだろう! 
と 自分で自分を奮い起こしたのである。

 あとになって判ったのであるが食べれないからと言って
チューブで胃に直接食物を送っても、歯で噛んで喉を通った
食物の栄養に比べその有効性は僅か三分の一にまで低下
してしまうとのことであった。

“彼のとった行動は正しかった!”

そして副産物として“私の闘病精神を盛り上げた”
彼は完治し退院した、そして無事大学を卒業した。

 そのご彼は、私が4回目の手術で入院したとき
彼が退院して半年健診を受ける為ガンセンターを訪れ
私の手術を知り見舞ってくれた、嬉しかった!

 ガンを克服した彼の“智慧” と それを支えた
家族やスタッフたちの勝利である。
 
 いま彼は京都で元気に働いている。
万歳・万歳・万歳!



画像

                    画像解説=緑色の桜で有名な
                    ごいこう“御衣黄桜”と書きますが
                    バラ科サクラ属の落葉広葉樹の桜です。
                 
                    この桜の花の楚々とした美しい風合いが
                    平安貴族の衣服「御衣」の萌黄色(もえぎ)
                    に似ていることから命名されたそうです。
                
                     花が開いたときには緑色であるが次第に
                    緑色は薄れて黄緑色から黄色になり
                    やがて中心部が筋状に赤くなることが特徴。
                 
                     愛知県の自宅から1`くらい西の
                    伏見稲荷に咲く珍種の桜で今年の4月7日に
                    撮影、愛知県にいたときは見物客に良く道を
                    尋ねられ、ご案内をした思い出が残る桜です。


 ガンを克服した Y さんの話

 彼は2004年胃がんで胃をほぼ全摘した。

 彼は会社の海外進出に伴って経営を支援をする立場の
大役をまかされていた、バリバリの現役会社員であった。

 その当時、海外の工場の赤字が5年ほど続き、
“閉鎖が存続か”決断を迫られた時、特使で派遣され
600人近くの従業員の生活を考えると
自分の体調のことを考える余裕など
なかったと当時を振り返る・・・。

 結局このタイミングの悪さからガンの発見が遅れ
海外工場を黒字化できた年に日本に戻り、
内臓の不安を精密検査したした所、ステージ3の
ガンが発見され、即刻手術の憂き目にあった。

 Y さんは手術室に向う時自分自身に宣言した!

“絶対に戻ってくるぞー”・・・と 

 退院後 “ランドクルーザー” を新規購入した。
 大好きな “スキーに行く” ためである。

 私の過去のブログでガンから生還する手段として
自己免疫力を向上させるために
「好きなものや趣味を持ちなさい」と訴えたことがある。
 
 彼はそれを実践して “ガンに打ち勝った”
体が治ったあとの自分の目標を明確にしてそれに向って
あらゆる努力を怠らない、出来そうで出来ない事を
自分自身にかした、えらい人である。

 手術より3ヶ月後、家族の反対を押し切って
新調のランクルをあやつり3時間走って
スキー場のにゲレンデ降り立ったYさん。

 心配した奥さんも同道したが怒りを通り越し袋に納め
旦那の思うことをやらせた・・・すごい女房

 その彼女も心臓の病で、常に “ニトロ”を携帯する
つわものであった。
 ジャーン!奇跡を起こす人の典型的な精神力
夢を達成するまでは
“いま病気なんかしていられない”

 結果 Yさんは5年間頑張って闘病生活を終えた。
 ガンにり患したが希望をすてず、余命率を乗り越え
男性の平均寿命まで視野に治まったのである。

 全快を手に入れた後 Yさんは
自治会の大役を引き受け2年間頑張り2013年3月
お役御免・・・地域の勤めも立派に果たした。
 
 彼の克服までのプロセスはガンで闘病生活を送って
いる人たちの「生きた見本」で目標でもある。
またご夫妻・家族ぐるみで闘った勝利でもあるといえる。



画像

                    画像解説=私がいま時点で一番好きな
                    花色の八重桜です。  (楊貴妃桜?)
                     
                     もっと色の濃い八重桜はソメイヨシノ開花より
                    7〜10日程遅く咲くのですが、ピンクの美しい
                    桜はその中間くらいに咲きます。
                     残念ながら名前はわかりませんが清楚な
                    美しい桜の花を咲かせます。

                     ソメイヨシノのようにひとつの蕾から六つの
                    花房をだして咲くので、青空をかくすように
                    群れて咲くことがないのでもっぱらアップで
                    愛でて欲しい。
                 
                     手折って切花にすれば部屋の中がホットな
                    雰囲気が漂い、免疫力アップとなるに違いない。


 私の命の恩人 Yさんの話

 奥さんが私の家内と趣味が同じで仲が良く
夫婦でいききした、大先輩であった。

 私のガンが発覚し、町医者では手におえないと
東三河のガン拠点病院を紹介され診察を受けたが
担当医は診察室に家内に呼び込み

 「生死にかかわる手術の必要がある」 と診断し
 
 即刻入院の手続きを執るように促した。

 びっくりした我々はいったん自宅に帰り
途方にくれ、家内が Yさんの奥さんに相談をかけた
そこで紹介を受けたのが 「Y病院」 であった。

 翌日その病院を尋ねると
 「ここまでほって置かれると・・・
紹介状を書くからガンセンターに行きなさい」
と愛知県ガンセンターの H 医師を紹介された。

 こんなアドバイスがきっかけで運よく名医に恵まれ
ガンセンターでも例がない程の 9時間にも及ぶ
高度な手術が私におこなわれ今があるのだった。

 人生のいたずらは 2010年に起きた
私を名医にお世話した Yさんに
多発性骨髄腫(血液のガン)が見つかったのだ

 彼は余分な言葉は一切なく
いつもニコニコ笑っているだけで
意見を求めても 「そうだなー・・・」
また無言になってしまうタイプ!
私はおしゃべりな男より理想の男とランクする。

 甘い物と果物が大好きで、果物王国山梨から
旬の美味しい果物をいつも送ってあげた。
 ガンの宣告にもぜんぜん動じなかったが
抗癌剤で味覚を失った途端Yさんから愚痴がでるようになった。

 薬の副作用で禿あがった前頭部に毛が
生え出した時は家族を喜ばし、そして大笑いした。

 一方甘い物には目のない人なので
コロ柿の美味しいものを孫たちに
食べられた時はずいぶんと消沈した。
 
 ガンとの闘病生活であんなに消沈した
Yさんを見たことがないのに、好物がなくなった
時の落胆した姿は尋常ではない姿だった。

 今年の四月に入ってすぐに訃報が届いた
病院から戻ったお顔を見てすごく安心した
後生が良い仏様のようなお顔であったからである。

享年85歳である。



画像

                    画像解説=日本を代表する山「富士山」と
                    ピンクの濃い桜の花のコラボレーション
                    誰もがその場所に遭遇したら不機嫌になったり
                    怒る人はいないに違いない
                    むしろ目じりが下がり“微笑が”浮かぶだろう。

                     大自然の営みはかくも過酷であったり
                    美しいのだろう!
                 
                    四季のある日本に万歳!
                 
                    自然を守ってくれたいにしえ人に感謝!
                 
                    そして我々は次の世代に無事に
                    バトンタッチしなければならない!
               
                    きょうは黄砂が舞って来なくて良かった!


 胃がんを克服した Mさんの話

 親戚関係にあたる Mさんは2007年胃がんの
疑いで精密検査を受けた。
 
 結果は初期の段階で内視鏡で取り去れば
良いとの診断結果、胸を撫ぜおろし夫妻で喜び
後日、内視鏡による手術が実施された。

 その後経過観察でなんと診断が訂正され、
内視鏡では摘出できない規模であったことが説明され、
喜びもつかぬまで“胃の半分近くを摘出する”手術が必要
との診断が下され一転して大いに落胆した。

 手術は順調に終わり療養生活に入ることになり
彼は空気の良い処でスローライフ生活をする事を選択
 “ゆったりとした生活環境” で療養する道を選んだ。

 生活の主体は排気ガスのない山間に別宅を建て
家庭菜園と大好きなゴルフ、そして美味しい水も!
手にいれ、もちろん朝晩の散歩は欠かさない。

 これを聞くだけで羨ましがる人がいるが
収入は食べるだけあれば良い! 命を拾うのだと
考えればある程度の結論がついてくるとおもう。

 住居は軽井沢のそばなので冬季は行動が鈍くなる、
それでも好きな歴史の本をひも解きながらゆったりと、
しかし散歩だけは夫妻で励ましあい欠かさず続けた。

 消化器系のガンのリハビリには散歩は強〜い!
味方である、道中大自然の営みを愛でながら歩けば
効果は更に倍増するようだ、ゴルフもまた良い。

 そんな生活態度と自然のパワーはストレスを抑え 
Mさんに夫妻に朗報をもたらせた。
 
 術後5年間、再発転移無しで乗り切ったのである。

 夫妻の協力と励まし合いが、とうとうガンを制圧した
と言える素晴らしい実例といえるのである。

 おめでとう!
 闘病中の人 見習ってあとにつづけー!




画像

                     画像解説=4月10日の河口湖の芝桜と
                     満開のソメイヨシノ!
                     このアングルで画像を撮る人は100人に一人
                     皆さんが富士山と桜をねらっているのに!
                     私って変わり者なのか なぁー 。
                  
                      江戸時代に品種改良され延々と愛でられる
                     日本が誇る代表的な桜、手入れ良く育てると
                     100年ほどの寿命があるといわれる。

                      私が住む愛知県の標高50メートル以下の
                     地域では50年ほどで衰えてしまう。



ガンもストレスが大きな原因要素と言われているが
桜も近年は自然破壊から来るストレスを受けている。

酸性雨が悪い? 排気ガスが影響するのか?
平均気温の上昇は間違いなく桜のストレスで
その寿命にダメージを与えている事は明らかだ。

 桜の美しさや魅力には
                 
1、満開時の花の豪華さ
                 
2、散るさまの美しさ、はかなさ
                 
3、地面(川面の花筏)を敷き詰めた落花の美しさ

・・・などがあげられるが
私見であるが花びらが汚れず落下する情景を
                 
「花の」“物のあわれと捉える”
                 
ここが一番のポイントではないかと思う。

生あるあいだ・・・

私は人道を外して、汚したくない!
                 
・・・“桜の花のように”・・・

三河のサル

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