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zoom RSS 闘病中のドラマチックな体験 1

<<   作成日時 : 2016/10/03 17:20   >>

驚いた ブログ気持玉 13 / トラックバック 0 / コメント 0

 癌摘出の執刀医で私の命の恩人 T・H先生は
尾張の高野といわれる「興正寺」に眠っていた。


 彼は私の癌摘出手術を正味9時間かけて
執刀した、脅威の集中力といえるが内容は
当時考えられる、彼独自の推理を結集して
技術のすべてを私のオペに取り入れた!

 手術終了後、全国の消化器医師団が 私の
部屋を巡回して廻ってくる、その人数が非常に
多かったのはこの為だったのかと今振り返る。

しかし彼は私の手術が医師としての集大成の
ように術後のちょうど二年後 「天に召された」

当然のごとく私の担当医が変わり、その医師
から逝去と手術の難度を打ち明けられた。

文にはならないが、本当につらい思いをした。



画像



上画像は興正寺の山門をくぐると
真正面に鎮座する釈迦如来銅像
(阿弥陀如来)だ!

ブログの画像では滅多に映らない
私の後姿が写っている、  如来の
親指に結えられている紐の延長を
私が握り「如来と結縁を」結んでいる。

話を元に戻そう!

彼は実家の会社を一旦引き継だが
自分の夢である「お医者さん」への
思いが捨てきれず、

苦学して医師への夢を求めたという!

従って取り組の気合が違うので研究熱心で
全国に向けての講演活動で飛び回ることが
日常茶飯事で自分の体のケアには振り向く
ことが出来なかったようだ。

あとで判った事だが私への執刀を行った時、
彼はすでにステージ 3〜4
の癌を患っていたこととなる。

名医の全国ランキングに載る人だけに
ほんとうに惜しまれるのだが!

今となってはいたしかた無い




画像
          画像は都会の墓地らしい雰囲気の墓地
                      



彼が逝去したと言う話は定期健診にて
癌センターに訪れた時、世話になった
看護師長からも知らされた。

その話を聞き、ちょうど1週間後が検査の
診断日なので香典を用意して病院を訪れた。

事務棟を尋ね理由を述べたが、関係者から
 「遺族の希望で」・・・と話され
受け取りは叶わなかった、勿論個人情報の
関係で自宅やお寺さんもノーコメントだった。

1ヶ月・・・半年過ぎ・・・1年過ぎてもても
「先生の供養をしておきたい」

そんな願いは募るばかり・・・。

自分なりに先生の出身地、田原市を探したが
月日はあっという間に過ぎ 5年が経過した。

ある日、友人の社長が我が家に訪れ宴会が
始まり、好物の甲州ワインで一献傾けた。

よもやま話の中で「T・H先生」の話題がでると、 
「ちょっと待てうちの専務が田原市の市会議員」
なので、ひょとして解るかも・・・聞いてみる
・・・早速その場で携帯で問い合わせをはじめた。

そして、あっという間に名古屋の興正寺が判明!

私が実家の田原市を中心に約5年探しても
見つからなかtった謎が瞬く間に判明し 仰天!

ご縁の不思議さに仰天と感動した「一瞬だ」




画像
    


画像は我が家の井戸水を持参して
石塔を清めているる私の姿

ここまで約100`離れているが「水」は
こだわりを持って墓参したのには理由
がある。
手術の約30時間後、始めて飲む水の
美味しさは過去5回の手術で体験ずみの私

仏様も旨い水が欲しいに違いないと考え
私の変なこだわりがそうさせた。

話を戻そう、本当に先生の墓所か?確認
の為2月に興正寺さんへ電話で問い合わ
せたが、このお寺さん私の想像を超えた
規模の寺院であるらしく、らちが明かない。

じっとしていられないのでナビに入力して
お寺さんを尋ね事務方の案内があり墓所が
ようやく確定できました、嬉しかったなー!

2016.09.06.日は念願の「墓参日」となったので
前日お供え用の「お花」を買いに行く事にした

この数ヶ月間、彼への献花には何を・・・と?
考え続けたが「白い菊」に決めた。

理由は菊は馥郁たる豊潤な香りがすることで
私の命の恩人の供養に最適だ と考えた事。

白い色と決めたのは手術後の回復室で
先生が「無事に手術は終わりました!」
麻酔で朦朧とする私を起こしてくれた時!

目を覚まし声の方角を見ると!!!

なんと先生が真っ白い「牧師の服装姿で」
背面に天使の羽根をつけたキューピットが
羽ばたいている光景が目に飛び込んだ!

牧師の顔が先生で!とびっきりの笑顔

幻覚か?現実か?区別が付かないままに
患者の私は思わず 「ありがとう」 と言って
合掌しようとするが手には数本のチューブ
が付いていて簡単に動かない!

私は瞬間的に手術の成功を確信し
「俺は生きているぞ!」
こんな安堵感を感じた心境が蘇った。

この体験を基に恩人に対する
私の心を託す花は「白菊がベスト」
ではないかと結論付けられた次第。




画像



興正寺さんは敷地も広いが平坦な土地には
ほとんど建物があり道中はアップダウンが多い

先生の墓所にはエレベーターを利用して
墓参に向かう 7段くらいの階段で息が揚がる
私にはこの文明の利器はあり難い! 

お花を先生のほうに(墓石)向けて活ける
お線香に火をつけ私が右側、家内が左側に
「南無阿弥陀仏」と唱え、夫々焼香をする。

焼香のルールは知らないが
「過去」「現在」「未来」を供養するように
私は3本の線香を供えるようにしている。

「弘法大師遍照金剛」と唱えながら石塔に
水をたむける・・・そして瞑想する。

墓石と私の間に・・・いい空気が流れる。

天国の先生とはこんな会話する・・・。

「先生私は障害者認定3級となってしまい
普通の仕事はもう無理になってしまった」

「でも生きている以上はなんらかな事で
社会にお返しをしなければならない?」

こんな言葉から恩人に話しかけた。

どおしたもんじゃろのう



画像




画像はスイレンの花 三態
スイレンは4日間咲くそうだ!

最初の1〜2日間は朝開花して夕方閉じる
3〜4日間は開花したまま一日中楽しめる
5日目からは水没してしまう。

蓮は世界で一番美しい花
仏教界では
花が開くと「化佛が誕生して」天に昇り
迷える衆生を救済する旅に出る。

瞑想の会話に戻る

「先生が生きていれば何人もの人を救える」

「私が生きていても人の為にはならないよねー」

とも言ってみたが返事は返ってこない

でも、私の心は妙に晴れ晴れして
肩がすっー と・・・楽になった。

こんなこともあるのか?

なんやかんやで
15分くらい天国の先生と
頭頂葉の奥で中心溝寄りの脳付近を使い
お話した。 
(これ私の奥義)
私はイメージで言うと、上画像の風景を
思い浮かべながらテレパシーを飛ばす。

独り言をぶつぶつ唱えていたら

興正寺さんの奥の院に鎮座するご本尊の
大日如来にお参りしたくなった。

本堂から200bくらい歩くと東山へ行く途中に
「女人禁制」の石塔が目に入った。
格の高いお寺さんなので思案していると

作務衣を着たお坊さんがこちらに向かってきた

「あのう!このバーバ 一応は女ですが・・・
 奥の院に進んで入っていいでしょうか?」
・・・と 私が尋ねたら。

お坊さん照れ笑いをしながら
「これは昔の話ですので、今は入れますよー。」
・・・と 応えてくれた。

ありがとうございます
と一礼はしたが何故か笑えなかった私達!




画像




本尊の「大日如来」に参拝し、この日は汗ばむ
陽気だったので、本堂右側の木陰にて涼むと
目の前に本堂を一周する回廊に気がついた。

好奇心が沸いてきて結界状の敷居を超えて
3歩ほど進むと!不思議な現象が起きた。

私の右肩を指先でトントンと叩く人が!

「ここには入ってはいけませんよ!」と
言われるのかと 振り向くが
誰もいない!

家内にこの現象を報告するのだが
「きのせい」と 相手にしてくれない。

とりあえず本堂を一周しながら様子を見ると
画像のように「子」「丑」「寅」・・の本尊12支が
堂宇を一周取り巻いているではないか

不思議なことにその現象が起きた場所は
私の干支(えと)を祭る仏のまん前だった!

自分のエトにお参りしたのは言うまでも
ないが、帰路に着く道中で先ほどの肩の
現象が苦になってしょうがない・・・。

回復室でT・H先生の姿を体験した以降
霊感のような現象が
たびたび私に起きる(気が付く)ようになった。

闘病の総集編を「いずれかにブログに残す」
つもりでいるが 「霊感が付いたような話?」
又の機会に述べようと思う。

私は先生が 「良く来てくれたなー」 と
肩を叩いて歓迎してくれた と
密かに思っているいるのだが (笑)




画像

 


奥の院を参拝して戻ると画像の
五重塔に出会った。

日本の寺院の屋根を見るといつも
惚れ惚れする。 塔の甍のラインが
雅な雰囲気を醸し出しているからだ。

ブッタの「舎利」を奉るに相応しい
争いの無い世界を見るおもいだ!

五重塔は、文化5年(1808)の建立で、
国の重要文化財に指定されている!
どおりで美しくて尊厳に満ちている。

また「興正寺」さんでは以下のような
行事や仏教の体験が出来るそうだ。


一日修養会

一泊修行体験合宿

興正寺で結婚式 
1日1組限定。素晴らしすぎる環境です

縁日 5日・13日・21日(興正寺マルシェ)

問い合わせ、興正寺ホームページ
http://find-travel.jp/article/9293

注: 甍(いらか) とは屋根瓦の棟などの遠望



画像
             
                        2016年9月13日12時撮影
                        手前の松で目通り2,5b



私のブログで2016年6月1日取り上げた
「松と日本人」
自身としては三河のサルのブログでも
代表作だと思って自画自賛しているが・・・。

このブログのマトメ部分に取り上げた
松の樹液で 戦闘機を飛ばす!
愚かなエピソード!に触れた。
http://salontakemori.at.webry.info/201606/article_1.html

私のふるさと愛知県豊橋市の元陸軍18連隊跡
いまも現存する「松脂を採集した傷跡」が残る。

70年の歳月があってもその「傷は癒えていない」
白い部分に残る V字 のキズが
20〜25本見えるだろうか?これが大戦中の傷痕だ!

写真では良く判らないが白い部分を取り囲む
松の幹肌は70年で10aほど盛り上がり
傷をつけられた舎利状の「幹芯」を保護しようと
自然治癒力で盛り上がってきてはいるが・・・

キズが癒えるまでにあと100年は掛かるだろう。

話をもとに戻そう!

患者にとっては頼もしい存在である
T・H先生の ためになる話

「腹八分を守れば日本中の病院が半分で済む」

消化器系の患者は散歩を心がけよ

この教えを私は8年にわたって守っている。
そして
100人くらいの人に先生の教えを伝授した

守ってくれた人には「福が来る」のだが?

これが私の出来る
唯一の先生への恩返しだと肝に銘じている。

三河のサル


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